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【現場へ!】神社本庁を考える①~⑤
朝日新聞(5回連載)R3.4.12~16

朝日新聞(藤生)1
【現場へ!】神社本庁を考える:1『神道界の内情、見えてきた』
朝日新聞(夕刊)令和3年4月12日
全国8万の神社をまとめる宗教法人神社本庁(東京)。元幹部2人が懲戒処分の取り消しなどを求めた訴訟の判決が3月18日に東京地裁であり、裁判長は処分無効を言い渡した。
「全面勝訴。ただ、裁判の真の目的は神社本庁の正常化です」
判決直後の控室で原告の元総合研究部長、稲貴夫(61)がそう述べると、支援者らから「第一歩だ」と声があがった。
原告は懲戒解雇となった稲と、一般職員に降格された元教化広報部長、瀬尾芳也(61)の2人。
発端は2015年、神社本庁が職員宿舎を1億8400万円で売った不動産取引だった。宿舎が即日転売されたり、極度額3億円の根抵当権が設定されたりしたことなどを2人は不審に思い、「上層部が懇意の業者に不当に安く売った」との文書を作成。役員数人に配ったことなどで処分された。
判決は上層部による背任の事実は認定できないものの、2人が「不正があったと信じる相当の理由があった」とし、内部告発の目的、手段も正当だったとした。
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この裁判は17年10月の提訴当初から波乱の展開をみせた。
「私の中でマグマが燃えさかっている」。提訴直後の評議員会(議会)で神社本庁総長の田中恒清(76)はそう怒り、疑惑を載せた週刊誌に矛先を向けた。
「神社本庁、日本会議、神道政治連盟が進めてきた憲法改正、今上陛下(現・上皇さま)のご譲位にかかわる問題。反対勢力はそのことをつぶしたい。そこにマスコミの論調は集約されている」
ところが、事態は違う方向へ向かう。原告を支援する「神社本庁の自浄を願う会」(自浄の会)が発足すると、浮き彫りになったのは保守内部の葛藤だった。
自浄の会代表は「新しい歴史教科書をつくる会」会長の高池勝彦(78)で、日本会議会長の田久保忠衛(88)と昵懇だ。2人は国家基本問題研究所の副理事長として、理事長の櫻井よしこ(75)を支えてもいる。
神社本庁の田中も日本会議副会長。神道政治連盟会長の打田文博(67)、被告側代理人の内田智(62)も、日ごろは憲法改正や歴史認識で高池らと共闘する機会も多かった。
錯綜する人間関係に、「神社界の問題が保守運動のブレーキになっている」と話す憲法・歴史問題に熱心な新宗教の幹部もいる。
震源地の神社本庁自体、混沌のただ中にある。熱田神宮(愛知)や鶴岡八幡宮(神奈川)、宗像大社(福岡)といった有力神社の宮司らが原告側の証人、陳述書に名を連ねた。裁判は懲戒処分をめぐる労働事件とは次元が違い、問われているのは神社界そのものだ。
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危機意識からか、神社本庁側の最終準備書面は力が入っていた。
「いわば『日本の国体』の根幹を護っている最後の砦である」と自ら神社本庁の存在意義をそう述べた後、こう結んでいた。
「決して裁判所が日本の国体破壊につながることに手を貸すこととなる事態があってはならないと信ずる次第である」
提訴から3年半。神社界の内側がおぼろげながら見えてきた。神社本庁とはどんな組織で、何が起きているのかを追う。
=敬称略(編集委員・藤生明)

【現場へ!】神社本庁を考える②
起源説復活 巻き返し始まる
(朝日新聞(夕刊)令和3年4月13日)

朝日新聞(藤生)2

【現場へ!】神社本庁を考える:2『紀元節復活、巻き返し始まる』
朝日新聞(夕刊)令和3年4月13日
明治神宮の北参道わきに神社本庁はある。建築家、菊竹清訓(きよのり)設計の建物は1987年に完成した。
突き出た棟木と漆黒の外壁。JR山手線沿いでもあり、電車の中から気になっていた人も多いかもしれない。
神社本庁は伊勢神宮を本宗(根本、最高の神社)とする宗教法人だ。17人の責任役員から選ばれた代表役員の総長、田中恒清(76)が実務全体を指揮する。最高議決機関は評議員会(定数168人)。その大組織を約60人の職員が切り盛りしている。
「神社本来の使命達成に邁進し、もって新日本の建設に寄与せんことを期す」。国家との分離を命じた神道指令を受け、神社本庁は46年1月23日、そんな声明を決議し発足した。正式な設立は国家機関「神祇院」の廃止翌日2月3日で今年も設立記念祭があった。
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設立当初の目的はただ一つ、占領下の神社生き残りだった。伏見稲荷大社(京都)や靖国神社(東京)など当初から加わっていない有名神社もあるにはあるが、多くは終戦時の逆風をしのぐべく、神社本庁のもとに集結した。
それまで「国教」的な扱いだった神社神道にとって、敗戦直後は屈辱的な仕打ちの連続だったようだ。宗教法人法が成立した51年、神社本庁事務総長(現在の総長)の高階研一は嘆いたという。
「神社が新興の宗教教団などと同一の法で規定されることに対し、高階自身が極めて不満を漏らしていた」。専門紙「神社新報」の創刊70年を記念して出版された「戦後神道界の群像」は古い資料を引いて当時の神社界の空気をそう描写している。
さらに、新設の宗教法人審議会でも辛酸をなめた。委員計15人の内訳は仏教6、教派神道2、キリスト教2、新宗教2、その他1。神社系は2人のみで、「神社本庁十年史」によると、「神社神道は絶対多数の信奉者をもち、委員数はバランスを欠く」などと文部省にかみついたという。
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やがて占領が終わると、神社界が真っ先に取り組んだのが紀元節復活運動だった。48年施行の祝日法で紀元節(初代神武天皇が即位したとされる日)は消滅していたためだ。「神社本庁史稿」が「戦後神社界の大衆へのアピールの嚆矢」と記したとおり、署名活動が全国的に展開され、紀元節は67年、「建国記念の日」に名前を変えて復活した。
「日本の建国を祝う会」は今年、事務局を置く神社本庁の大講堂で式典を催した。後日、会長の国学院大名誉教授、大原康男(78)に建国記念の日が66年に制定されたことの意義を問うと、「占領期に失った紀元節を復活でき、その後の保守運動にとって大きな弾みになった」と語った。
靖国神社を国家の運営にする「靖国法案」、元号法制化実現運動、憲法、領土、教育、歴史、皇室、家族……。多方面にわたる神社界の本格的な反撃が始まった。
神社本庁内に神道政治連盟(神政連)が69年発足。翌年に神政連国会議員懇談会(議員懇)も立ち上げられた。
議員懇の発足時メンバーは20人足らず。小集団は今や安倍晋三(66)を会長にかつぎ、約300人の国会議員を擁す一大勢力になった。
=敬称略(編集委員・藤生明)

【現場へ!】神社本庁を考える③
パイプを駆使し「政治活動」
(朝日新聞(夕刊)令和3年4月14日)

③神社本庁を考える

【現場へ!】神社本庁を考える:3『パイプを駆使し「政治活動」』
朝日新聞(夕刊)令和3年4月14日
神社界には2人の実力者がいる。歴代最長4期目の神社本庁総長を務める田中恒清(76)と、あともう1人。神社界の政治担当、神道政治連盟(神政連)会長の打田文博(67)だ。
昨年12月2日、「美しい日本の憲法をつくる国民の会」の集会が憲政記念館であった。ジャーナリストの櫻井よしこ(75)らの後、会の事務総長の打田が登壇。「速やかな憲法改正作業への着手を求める」とする声明を読み上げ、集会はほどなくして終わった。
その下旬には、神政連国会議員懇談会の議員らと首相官邸を訪ね、皇位継承の男系維持を要望。同時期、専門紙「神社新報」で参院議員、山谷えり子(70)らと夫婦別姓をテーマに鼎談(ていだん)し、祖先祭祀(さいし)継承、家族の一体感、文化・伝統の面から反対を訴えた。
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保守的な運動のあるところ、打田が登場する。力の源泉は神政連事務局長として築き上げた政治家とのパイプだ。古くは元自民党参院議員会長の村上正邦ら。安倍晋三(66)は2009年から議員懇会長職にあり続けている。
「神道の精神をもって日本国国政の基礎を確立せんことを期す」。神政連は1969年、そんな綱領を掲げ発足した。「明治百年」にわき、一方で学生運動が激化。結成は世直しの狼煙(のろし)だった。
今日、存在感を増した神政連を調べていて、総務省の政治資金収支報告に団体名がないことに気づいた。資料をめくると、当初は政治団体で95年、旧自治省に解散を届けていたことがわかった。
神社新報に当時の神政連内の議論が載っていた。政治資金規正法の改正で、団体献金の受け皿が政党か、政治家の資金管理団体かに限られたことから、従来どおり神社から協賛金を集められなくなるため対応を迫られた、とあった。
そこで四つの生き残り策が検討された。(1)既成政党の支部になる(2)特定政治家の資金管理団体になる(3)神社の協賛金を個人寄付にする(4)規正法の拘束を受けない団体になる。結果、(4)を選択。政治団体の解散を届けたという。
「『これからは国民運動としてやっていく』となった。ただ、実態は従来の政治活動と何も変わらなかった」と神政連関係者。打田は神政連事務局長だった。
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昨年9月、「神政連五十年史」が発刊された。安倍が祝辞を寄せている。「自民党が苦しいときもぶれることなく、各級選挙でのご支援や党員の獲得を通じて党を力強く支えていただいた」
規正法は政治団体をこう定義づけている。《政治上の主義もしくは施策を推進し、支持し、またはこれに反対することを本来の目的とする団体。特定の公職の候補者を推薦し、支持し、またはこれに反対することを本来の目的とする団体――》
神政連は該当しないのか。総務省の担当者は「本省に実態を調査する権限はない」。当の神政連は本紙の取材に、自らを「国民運動推進団体」だと言い、「政治団体として特定の政治家や政党に対して政治献金をおこなうなどの活動はしていません」と答えた。
神道政治連盟という名の国民運動推進団体。この団体は憲法改正や皇室の尊厳護持を重要な政策課題に掲げている。
=敬称略(編集委員・藤生明)

【現場へ!】神社本庁を考える④
有名どころ離脱、走った衝撃
(朝日新聞(夕刊)令和3年4月15日)

④神社本庁を考える

【現場へ!】神社本庁を考える:4『有名どころ離脱、走った衝撃』
朝日新聞(夕刊)令和3年4月15日
「こんぴらさん」で知られる金刀比羅宮(ことひらぐう)(香川)が2020年、宗教法人神社本庁を離脱した。神社によると、天皇即位に伴う大嘗祭(だいじょうさい)の当日にお供えの幣帛(へいはく)料が届かなかったことなど、不信が積み重なっての決断だという。
「日光東照宮(栃木)級の衝撃」。複数の神職がその受け止めを語る通り、東照宮や明治神宮(東京)といった有力神社の離脱は影響が大きい。明治神宮は後に復帰したが、神社本庁との攻防が最高裁に持ち込まれた例もある。
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「明治神宮が離脱したころ。うちもいる意味はあるのかなと」。気多(けた)大社(石川)の宮司、三井孝秀(59)は離脱に踏み切った05年当時をそう語る。「当時は父が宮司。正直、原子力空母と竹やりの戦いだった」
祭りで対立する石川県神社庁に対し傍観の神社本庁に疑問を感じたこと、神社本庁に加わったままだと神社の自治や伝統文化の維持が難しくなることなど、「いる意味」がなくなったのだという。
所管の石川県は05年、離脱のための神社規則変更を認証。反対する神社本庁が文部科学省に審査請求し、同省が県の認証を取り消したため事態は泥沼化した。その後、神社本庁は県への再申請を準備中の宮司の懲戒免職を決定。これに対し、神社側が文科省の裁決無効を求め提訴、という経緯をたどった。ようやく離脱できたのは県の認証を適法とする最高裁の判断が示された10年だった。
「離脱の自由の根拠は信教の自由にある。神社本庁がそこに気づいていない」と神社側の代理人を務めた佐藤歳二(84)は言う。富岡八幡宮(東京)の離脱でも手腕を発揮、こう苦言を呈す。「宗教法人法は被包括法人(神社)の意思尊重を定め、離脱への妨害を禁じている。なのに、神社は言いなりになると勘違いしている」
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終戦時、新団体結成が話し合われる中、神道家の葦津珍彦(あしづうずひこ)らは「『神社教』案ニ反対ス」という文書を作った。神職の全国団体が推していたピラミッド型の神社教案に対し、葦津らは緩やかな連盟組織を主張、神社本庁の組織形態に影響を及ぼした。
「神社本庁の現状を憂えつつ神社新報ならびに読者に訴える」。昨年夏、そんな投稿が専門紙「神社新報」に載った。筆者は横浜の瀬戸神社宮司、佐野和史(74)。元神社本庁教学研究部長だ。先人の気概を引き、「御用新聞でなく、正確な情報を全国の神社人に提供するとの自負・自覚があったと聞く」と編集者に奮起を求め、読者に積極的な投稿を促した。
占領が終わり、神社生き残りが達成されると、「神社本庁を維持することが神社界全体を守ることだ」と転倒した主張が幅をきかすようになった。「ピラミッド型になって、その傾斜が急角度になってきている」と佐野は言う。
統制が強まる一方で、神職側では「神社本庁って何かに役立っているの?」という疑問が公然と語られるようになった。
教学畑を歩いてきた佐野が考える神社本庁の今日的役割とは「神社とは何ぞや」という共通認識、教学づくりであって、自らの権威の押し売りではないはずだという。巨大宗教法人の存在意義が問われている。
=敬称略(編集委員・藤生明)

【現場へ!】神社本庁を考える:5 
事件の八幡さま、起死回生へ
(朝日新聞(夕刊)令和3年4月16日)

⑤神社本庁を考える

【現場へ!】神社本庁を考える:5『事件の八幡さま、起死回生へ』
朝日新聞(夕刊)令和3年4月16日
東京・深川の富岡八幡宮は神社本庁ゆかりの神社だ。終戦の混乱期に宮司だった富岡盛彦は神社界の立て直しに奔走し、後に神社本庁事務総長を務めた。
その境内で、孫の前宮司・富岡長子(ながこ)が弟の元宮司・富岡茂永に待ち伏せされ、日本刀で斬り殺される事件が2017年末にあった。
「こんなときだからこそ、お祭りを中止したくありません」。18年春、現在の宮司、丸山聡一(60)は約70ある氏子町会をすべて回って、神社の再生に力を貸してもらえるよう頭を下げた。
山王祭、神田祭とともに江戸三大祭に数えられる深川八幡祭。神輿(みこし)を担ぎ、祭りを盛り上げるのは氏子町会の協力なしにはありえない。権宮司として実務を取り仕切ってきた丸山の熱意は通じ、夏祭りは成功裏に終わった。「あの年に祭りができた。事件のイメージを払拭(ふっしょく)する第一歩になったと思います」
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事件が起きる前年の秋ごろ、神社本庁に宮司昇格を保留されていた長子から神社本庁離脱の意向を聞いた。丸山は大反対した。
それでも説得は続き、最後は「やむなし」と考えるようになった。本庁側もおかしいという思いがあったからだ。当初、「上席の権宮司がいる。それを飛びこえて宮司になるのはいかん」という説明だった。それが時間とともに次々と条件が加わった。
富岡八幡宮は神社本庁離脱を決定。17年9月に所管の東京都で規則変更の認証が済み、翌月、単立の神社として再出発した。
長子は正式に宮司に就任。トラブル続きで01年に父に宮司を解任されていた弟は復帰の望みが絶たれ、17年12月に凶行に及んだ。
「神社本庁の神社でないと将来が心配です」。長子が宮司のとき、離脱を理由に神職の1人が神社を去った。神職の身分は神社本庁が授ける資格だ。さらに事件が起きた。だが、事件を理由に辞めた神職は1人もなく、将来を見すえて一昨年度1人、昨年度2人の採用もした。「本当によかったのですが、『なるべく早く神社本庁に復帰してほしい』というのが職員たちの本音だと思います」と丸山は話す。
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神社は離脱後も、祭典の執行や教学の基本は神社本庁の決めた規則や規程に基づいて行われている。また、全国の神社がまとまっていることは大事だというのが丸山の考えだ。神社の総代や崇敬会役員、神輿総代といった富岡八幡宮を支えている人々の大方も「いずれは元のように神社本庁に復帰してほしい」という意見だという。
ただ、前代未聞の事件の後であり、神社本庁側も多方面でゴタゴタ続きでもある。神社本庁ゆかりの神社が元のさやに戻り、江戸市中の信仰を集めてきた神社として、隆盛を取り戻すまでにはもう少し時間がかかりそうだ。
「お祭りを重ねていくしかありませんね。アピールの方法もあるんでしょうが、あまり悪あがきをしても仕方ない。姿勢を正してお宮さんらしく、コツコツやっていこうと思っています」(丸山)
招福を祈る神社で起きた大惨事から3年半。神社再生への取り組みとその成否を全国の神職たちが注目している。
=敬称略(おわり)(編集委員・藤生明)