自浄.jp

トップページに戻る

どの先の大同団結?
(神社新報令和3年9月13日号論説)

20210913001816-0001
地位確認訴訟の控訴審判決(9月16日)を目前に控え、神社新報が「その先の大同団結のために」と題する論説を掲載した。「まもなく明らかとなる控訴審判決がいかなる内容で、判決を受けて当事者双方がどのやうな対応を図るとしても、内部対立の先鋭化に向かふやうなことがあってはならない。なによりその対応の先に、斯界の大同団結があるのかが重要といへるだろう。」という。

しかし、斯界の『大同団結』は、斯界の浄化を前提とした『大同団結』でなくてはならない。汚職、疑惑、混乱について誰も責任を取らず、反省すべきところの反省もなく、改善すべきところの改善もないままでの『大同団結』は、「つぎはぎだらけのバラック」どころか、「臭いものに蓋」の隠蔽体質をさらに助長するだけである。

神社新報の論説は「自分だけが正しいと考へるやうな利己的独善に陥ることなく、斯界の一人一人が常に寛容さと謙虚を以て真摯に考へるなかで判決の日を迎へたい。」と結んでいる。なるほど、正論である。が、そもそも「寛容さと謙虚さ」なるものは権力者にこそ求められるものではないのか。我々は権力者の不正に対して寛容であってはならないし、不正を行った権力者が我々に謙虚さを求めるようなことがあってはならない。
「斯界の大同団結」のためには何が必要か? 斯界の一人一人が、柵や利権にとらわれることなく、真摯に考える中で、判決の日を迎えたい。