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田中恆清”なほ在任”総長 「年始に当たっての所感」
(京都府神社庁 庁報「杜」第153号より)

京都府神社庁庁報 杜 第155号_ページ_2
京都府神社庁の庁報に、神社庁長である田中恆清氏による、実に格調高い「年始に当たっての所感」が掲載されている。
斯界における信頼を失いながらもなほ総長として在任する田中恆清氏の胸の痛みがひしひしと伝わってくる。

「…特に情報化社会の中で、姿の見えない悪意あるSNSなどによって、深く心を傷つけられ、誹謗中傷の心ない書き込みや拡散の恐怖によって、悲しくも自ら命を絶つ人々の胸中は察するに余りあるものがあります。
残念乍ら、斯界においても同様の事象もあり、風評に流された人々は更に誹謗中傷に拍車をかけており、憂慮すべき時代の到来に神職として心を痛める昨今であります。神職らしさとは何なのか、一人びとりが胸に手を当てて考えてほしいものだとひたすら思います。
新年早々に憂慮すべき事案ばかりを書きつらね申し訳なく思いますが、斯界にとっても蔑ろに出来ない事態であり、各位がより一層の団結を切にお願い申し上げる次第であります。
結びに府下各神社のご繁栄を祈り上げますと共に斯界のますますの隆昌を乞い願い、ドイツの哲学者ニーチェの至言を記し年頭の拙い挨拶に替えさせて頂きます。
曰く『悪意というものは他人の苦痛自体を目的とするものではなく、われわれ自身の享楽を目的とする。では悪とは何かというと弱さから生じるすべてのものもだとニーチェはいう。中傷発言はその人の心の弱さのバロメーターに過ぎない』と。(産経新聞夕刊コラムの一部を引用)」

「神職らしさとは何なのか?」まずはあなた自身が胸に手を当てて考えてみてほしいものだとひたすら思う。