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神社本庁 田中-打田体制とは何だったのか?
-体制刷新のため、万機にわたり公論を呼び起こすべし!
(月刊「レコンキスタ」令和5年9月1日号)

レコンキスタR5.9
「・・・神社神道の世界も、間違いなく変革の途上にあるが、初期段階は既に通り越して、大変革の前夜にいると思う。一番の心配は、その準備が関係者にできているか否か、ということである。その準備と覚悟がなければ、変革が中途半端に終わり、改悪に進む恐れもあるからだ。
改革の表舞台は、もちろん神社本庁である。民間団体である神社本庁は、現在は宗教法人法のもとに運営され、基本的に公的機関による強い規制などは受けずに自主運営されている。
世俗的には宗教法人と位置付けられる神社本庁であるが、その聖なる使命は言うまでもなく、全国神社の興隆と発展を図ることにある。そして設立当初は、GHQと交渉を重ねて神道指令からの神社の防護につとめ、日本が独立した後も、占領の後遺症が日本全体にまん延する困難な状況の中、その使命を必死になって果たしてきたと思う。
しかし現在は、見るも無残な状況となっている。田中-打田体制という双頭体制のもと、組織が私物化されてきたからだ。・・・」

「・・・田中-打田体制は、遠からず崩壊する。彼方此方で次々と新たな事件が発覚している現状をみれば、誰でもそう思うだろう。問題は、新しい体制の下で、どのように神社本庁を改革してゆくのか、それは全国神社の興隆、発展につながっていくものなのかどうか、ということである。そのためにも、新体制においては、田中-打田体制下でおきた様々な事件の真相解明と共に、神社本庁の歴史を再検証したうえで、将来の改革へ向けたビジョンを示して欲しいと思う。それは、理想でも構わない。
当然、そこには様々な批判が起こるだろう。大切なことは、大変革の嵐の中で使命を果たしてきた神社本庁設立の原点に立ち返ることである。そのうえで、部分と全体が一体となった神社界の社会における位置づけを明らかにし、批判も正面から受けながら、万機にわたり公論を呼び起こし、将来へのビジョンを具体化していってほしい。壮大な事業であるが、逃げてはならない。」