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評議員会を私物化し、鷹司統理に刃を向けた田中執行部の悲しき末路
 ー神道関係者は議論を重ね、令和の新時代を切り拓け!ー
(月刊「レコンキスタ」令和6年6月1日号)

レコンキスタR6.6
「先月の23・24日の2日間、神社本庁で評議員会が開催された。まだ断片的な情報しか入手していないが、結論としては今回も、執行部と一体になった北山秀彦議長が、鷹司統理による総長指名を尊重せよとの緊急動議に対し、議長の権限を乱用して採決させないまま強制終了するという、常軌を逸した議事運営がなされたようだ。もはや執行部は、160名の評議員の中では田中派が少数であることを自覚している故に、採決だけはさせるなと議長に含んでいたのであろうが、議会軽視も甚だしい。
さらに、議事の中で、複数の田中派評議員や荒井総務部長が、鷹司統理批判を公然と行ったという。統理に歯向かい、評議員会を軽視する姿勢は、国に置き換えれば、皇室の権威を貶め、国会運営を混乱させることと同義である、今時、共産党でさえそんなことはしない。」

(中略)

「そして今日においても、議長が議会でなく政府の意向を受けて、恣意的な議事運営をすることなど全く考えられない。もしそんなことが行われれば、間違いなく懲罰委員会にかけられ議員を除名されるであろう。
しかし、同じ議会であるはずの神社本庁の評議員会においては、田中体制下において、常軌を逸した議事運営が平然と行われ続けてきた、それが特に顕著になったのが、2年前に現在の北山議長が就任してからである。評議員の各位には、何れにしろ田中執行部は崩壊間際なのだからと、議長も含めた不正追及の手を緩めないでいただきたい。あらゆる方法を駆使して、最後まで正論を主張し、公正な議事運営を求め続けてほしい。それが途絶えてしまえば、議会は死んだも同然となり、後世への大きな汚点となるからだ。」

「毎年6月30日と大晦日は、各地の神社で大祓という神道行事が執り行われる。そこで唱えられる祝詞の冒頭に「八百万神等(やおよろずのかみたち)を神集(かむつど)へに集へ給ひ神議(かむはか)りに議り給い」という言葉が出てくる。これは神代においても、高天原に神々の代表が集まり、重要案件についての議論がなされていたことを物語る。
現在の神社本庁評議員は、神社の神職と総代の中から選出されているようだが、時代により形式こそ違っても、新当会では会議や議論を大切にしてきたことが伺える。神社という日本の歴史と共にあり、皇室とも関係の深い親交を伝える組織が、議論を大切にしていることは尊いことと思う。」

「令和に入ってからの神社本庁は、前述のとおり、田中体制のもとで議会が機能できない状況が続いているが、もはや田中体制は内部からも周辺からも綻びが見え始めている。役員会で過半数を維持し、数的に不利な評議員会では、議長を手足のように使って田中体制を否定する決議を阻止するしか、体制崩壊を防ぐ方法はないのだ。逆に言えば、田中派にとって現在の評議員会ほど恐ろしい存在はないのである。
田中体制による腐敗の現実は、各階に周知されている。一日も早く田中派を追放して神社本庁そのものの崩壊を食い止め、再生への道を切り開くことが出来るか否かは、偏に評議員会が鷹司統理の期待に、どこまで応え得るかにかかっている。」