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神社本庁で内紛激化...靖国神社も天皇批判発言で異常事態
(Business Journal 2018.11.8)

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「『御代替わり』に神社界は存在感を示し、国民の信頼と親しみを取り戻し、素朴な信仰をつなぎ止めることができるのか。残された時間は短い。早急に、新しい体制で立て直しを図る時期にきている。」Business Journal 2018.11.8

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(以下、本文より引用)

来春、今上天皇が退位、皇太子が新天皇に即位する「御代(みよ)替わり」が行われる。憲政史上初めての退位だけに、政府は皇室の伝統と象徴天皇制の在り方に留意しつつ、各種儀式を執り行う方針だ。

こうした諸行事を草の根からお祝いして、国民に皇室の伝統を伝え、退位と即位をつつがなく迎える役割の神社界が今、揺れている。神社本庁は総長が「辞任発言」をして迷走、靖国神社は「不敬発言」で宮司(ぐうじ)が交代、わずか1年の間に3人の宮司を頂く異常事態となっている。

全国8万の神社を傘下に置く神社本庁と、本庁に属さない単立の宗教法人として国家のために戦った戦没者を慰霊顕彰する靖国神社の混乱は、明治以降150年の歴史のなか、国家神道の担い手だった戦前と、一宗教法人として出発した戦後が、ほぼ同じ年月を刻む過程で、「国家の呪縛」から抜け出す時期を迎えたことを意味する。

安倍晋三政権が長期化し、日本社会の保守化が進むなかで、戦前への回帰を根底に秘めた日本会議が注目を集めるようになった。その中核に位置するのが神社本庁であり、傘下政治団体の神道政治連盟だった。宗教団体をはじめとする保守勢力の国民運動を推進するのが日本会議だが、手足となる人員や拠点を自前で持っているわけではない。

47都道府県に「神社庁」という組織があり、2万人の神職で8万の神社を包括する神社本庁の体制は、草の根国民運動の担い手に相応しい。8年目を迎えて支配体制を強固にする田中恆清総長は日本会議副会長であり、その右腕の打田文博神政連会長とともに安倍保守政権を支えてきた。

その象徴が、2016年の初詣に各神社に憲法改正署名活動のためのブースを設けさせていたことだろう。「憲法改正1000万人署名活動」の一環であり、神社本庁の立ち位置を明確にした。

だが、そもそも神道が国家と明確に結びつき、天皇を中心とした支配体制の一翼を担うのは明治維新以降のことであり、本来は祖霊信仰、「祭り」をはじめとする地域コミュニティの場であり、八百万の神を祀る融通無碍の宗教だった。

「氏子には共産党の信奉者だっているわけだし、改憲署名を強制するような支配体制は馴染まない。なのに、田中総長と打田神政連会長のコンビは、田中総長が副総長時代の04年頃から神社本庁に強権支配体制を築いた」(有力神社の宮司)

その矛盾と不満が一気に噴き出したのが、田中・打田体制と親しい特定業者への宿舎の安値処分に異議を唱えた幹部職員をクビにしたときであり、「反田中派」が結成され、役員会などで田中批判が展開されるようになった。神社本庁内部と有力理事を押さえ支配体制が揺らぐことはなかったものの、田中総長に対する不満が鬱積するようになった。

●「御代替わり」に影響も

それが表面化したのが、9月11日の役員会。「クビにした幹部と和解したらどうか」と勧められてキレて、「今日限りで総長を退任する」と思わず口走った。ところが前言を翻し、10月3日には長老や顧問を招いた役員会を開催、「続投宣言」をして周囲を呆れさせた。

なかでも開き直りに反発したのが、神社本庁の象徴的存在の鷹司尚武統理で、「今日の会議で(退任の意思が)覆されたのは、私は気持ちが悪い」と言い、「自分が言ったことには責任を持ってほしい」と、辞任勧告に等しい発言をした。

これを受けて、全国から評議員が集まる10月23日の評議員会では、「退任に追い込まれるのではないか」という観測も流れた。だが、田中総長は居直りの覚悟を固めており、解任につながる「勧告決議」が出されたものの、「評議員会で話し合われる問題ではない」と一蹴。そのうえで、「動議は私にとって屈辱。140名を超える評議員の前で辱めを受けた」と恨みを口にした。

おそらく来年6月の任期満了まで、田中総長は意地でも辞めない。それどころか4期12年という異例の長期政権を画策する可能性もある。人事権を握って神社本庁を掌握する田中氏にとって、それは可能かもしれない。各界に人脈がある打田氏のサポートもある。しかし、それでは反田中派はますます離反、統理の信頼を得ないまま「御代替わり」の各種行事に、神社本庁としてのスムーズな対応ができなくなる。

●靖国神社、舌禍発言騒動

靖国神社の迷走も、「時の流れ」がもたらした。

徳川家末裔の徳川康久氏は、13年に第11代宮司に就任。以降、「みたままつり」から屋台を締め出すなど積極的な改革に踏み切ってきたが、行き過ぎて物議を醸したのが明治政府に反抗して戦った会津など賊軍の合祀を口にしたことだった。徳川氏の出自もあって、「靖国の存立基盤を否定する発言」と猛反発を受け、退任を迫られた。

その後を受けたのが、伊勢神宮で大宮司や少宮司を補佐する禰宜(ねぎ)に就いていた小堀邦夫氏である。が、小堀宮司も舌禍発言で退任を余儀なくされる。今年6月に行なわれた教学上の問題を検討する最初の会議で、天皇のサイパン、パラオ、フィリピンと続いた「慰霊の旅」について触れ、「そこに御霊はないだろう? 遺骨はあっても。違う?」と述べ、暗に靖国に参拝しない天皇を批判。このまま参拝がなければ、「今の皇太子さんが新帝に就かれて参拝されるか?」と懸念、それが「今上天皇は、靖国神社を潰そうとしている」という衝撃発言につながった。

10月8日、この発言を報じた「週刊ポスト」(小学館)が発売されると、1週間も経たずに退任の意向が表明され、10月26日の総代会で後任が“徳川時代”にナンバー2の権宮司(ごんぐうじ)だった山口建史氏に決まった。「右翼思想の人で、そちらに幅広い人脈を持っているが、2代続けて舌禍発言でクビになっており、可もなく不可もない運営に徹するだろう」(有力神社神職)と予測する。

A級戦犯の合祀以来、昭和天皇は1975年を最後に参拝を見送り、今上天皇もそれに倣うなど、小堀氏の指摘のように、靖国が天皇家から距離を置かれているのは事実だ。遺族会は高齢化、政治家の公式参拝も進んでおらず、「靖国を支える人」が少なくなっている。そうした歴史に埋没しそうな靖国を甦らせようとして足元をすくわれた感があるのが徳川、小堀の両宮司だった。明治も昭和も遠くなりつつある。

神社本庁と靖国神社で起きている混乱は、突出した人間たちが巻き起こす悲喜劇ではあるが、底流にあるのは神社、神道、靖国とは何かの本質的論義を深める時期にきていることへの認識が、神社本庁幹部や単立の有力神社宮司らに欠けていることだろう。

天皇の「御代替わり」に神社界は存在感を示し、国民の信頼と親しみを取り戻し、素朴な信仰をつなぎ止めることができるのか。残された時間は短い。早急に、新しい体制で立て直しを図る時期にきている。
(文=伊藤博敏/ジャーナリスト)