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『神社本庁憲章』を否定して悪あがきを継続する田中-打田体制
 -自壊する前に、神道人の良心で自浄への道を切り拓け!-
(月刊「レコンキスタ」令和5年4月号)

レコンキスタR5.4
・神社本庁の変質がもたらしたもの
・主体性無き依存、従属は、自壊への道
・小川弁護士頼みの田中派理事は役員会で悪あがき

「神社は日本人の心の原点である。故に肇国以来二千六百有余年の歴史の中で、皇室の御敬神の精神のもとに、神社は大切に護持され、人々も氏神神社の祭りに親しみながら、その信仰を継承してきた。大東亜戦争の敗戦により、神社の護持や管理は国家の手を離れ、宗教法人となった全国神社の連合体として、新たに組織された神社本庁の手に委ねられた。以来、七十有余年が経過したが、その間も神社は、皇室と国民の崇敬に支えられて、変わらずに護持されてきた。しかし今、誰の目にも包括団体である神社本庁の変質は明らかとなっている。
筆者が記事にしてきた変質を一言で表現すれば、理念の喪失である。理念なき田中-打田体制のもとで「神社本庁憲章」は否定され、統理の地位が総長の下にあるかのような曲解がまかり通ってきたのだ。
誤りが正されるべきは当然のことだが、それも、ただの誤りではないのだ。既に八年が経過した神社本庁百合ヶ丘職舎売却に際しての疑惑は、最高裁に至る四年半の裁判を経て、原告側が指摘した背任の事実についての真実相当性が立証されている。きわめて犯罪性が強いのだ。その後も神社界ではスキャンダラスな事件が相次いできたが、程度の差はあれ、何れも田中-打田体制が絡んでいる。先月号で触れた東京都神社庁の横領事件はもちろん、開発予定地の大半が明治神宮の境内地である外苑開発問題に対し、神社本庁が沈黙しているのも、田中-打田体制と無縁でないと筆者はにらんでいる。これ以上事態を放置してはならないのだ。・・・」